WIKIレンタル 大衆演劇探訪記

大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」

大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記その③
大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」


旅の3日目。
山口県長門湯本温泉を9:30に出発した送迎バスは11時頃新山口駅に到着しました。
新山口駅からJR山陽本線に乗って九州へ。

kokura_map.jpg
今日は小倉にある大衆演劇場「宝劇場」を訪ねます。
2011年頃まで小倉には「バーデンハウス」「バーパス」という2つの大衆演劇場がありましたが、どちらもなくなってしまいました。
北九州の大衆演劇ファンの声に応えて九州演劇協会会長の玄海竜二座長が私財を投じて小倉の地に新しい大衆演劇場「宝劇場」をつくりました。

takara03.jpg
13時頃小倉駅に到着。

宝劇場の昼の部の公演は間に合わないので、昼間は小倉を散策することにしました。

takara05.jpg
まず向かったのは無法松之碑。
碑の左右に石版があります。それぞれ以下の文章が刻まれています。
「古船場三丁目-独身者の松五郎が住んでいた町で此の町は俥夫 羅宇の仕替 香具師 土方等の自由労働者達が大勢住んでいた そしてこの町には木賃宿が三軒もあって 渡り鳥の様に町から町へ漂泊する猿廻し オイチニの薬売り 山伏等がいつも一杯だった 富島松五郎伝より」
「古船場町の人富島松五郎は無法松の名をもって知られたがその性純情にして清爽、哀切の生涯は我等の胸を打つものがあった。無法松は岩下俊作の詩と夢の世界に生れた永遠の人間像である。市井の歌である。美と愛の精神である。」

小説、演劇、映画について確認しておきます。
岩下俊作の小説「富島松五郎伝」は昭和14年に「九州文学」に掲載された後に「オール読物」に転載された。岩田豊雄(獅子文六)は「これに芥川賞か直木賞を与えなかった審査員はどうかしている」と絶賛した。昭和17年に岩田豊雄の関係する文学座で上演された。昭和18年に「無法松の一生」の題で大映が映画化した(監督稲垣浩)。昭和19年には文学座で主演した丸山定夫が自分の劇団で再演したのち「移動演劇隊桜隊」を名乗って西日本を巡演した(広島逗留中に原爆に遭い丸山定夫は死んだ)。戦後には「無法一代」等のタイトルで新国劇で多く上演された。新派、文学座、宝塚でも上演された。映画「無法松の一生」は戦後アメリカ軍の検閲により一部削除された。これを不服とした稲垣浩監督は昭和33年に三船敏郎を主演にしてリメイクしベネチア映画祭でグランプリを取った。映画「無法松の一生」をその後2度映画化された(昭和38年 三国連太郎主演、昭和40年 勝新太郎主演)。※参考文献:幻影の「昭和芸能」(藤井康生著)

そして、今なお松五郎は大衆演劇によって多くの人々によって親しまれ続けています。

takara07.jpg
小倉には旦過(たんか)市場という歴史ある通りがあります。
駅近くから長く伸びていて、その端の出入口が無法松之碑の近くにありました。

takara10.jpg
旦過市場

takara13.jpg
立ち将棋コーナー
昔ながらの風情があります。

小倉駅周辺の散歩を終え、宝劇場夜の部の公演を目指して移動します。
宝劇場の最寄駅はJR日田彦山線南小倉駅ですが、時間に余裕があったので歩いてゆくことにしました。

30分くらいで着くかな、とたかをくくっていましたが、以外と距離があり45分くらいかかりました。

takara15.jpg
焼肉屋の向こうに見えるビルが真鶴会館で、その5階に宝劇場があります。
もとはこの近くの場所にあったのですが2016年にこちらに移転しました。

真鶴会館のウェブサイトには「当会館は、地域の方はもとより広く一般の方々の諸会議、展示会、文化活動等コミュニティづくりの場として多目的にご利用いただけます」とあります。

takara17.jpg
宝劇場の幟

takara20.jpg
真鶴会館入口

センターでない大衆演劇場は、
それ単独の建物であるか、映画館などを改修した場であることが多いですが、
ビルの普通のフロアーにテナントとして入る演劇場が近年できてきました。
ここもそうした新しい形態の劇場のひとつ。

takara23.jpg
エントランスの掲示
駐車場はないので近隣のパーキングをご利用くださいとのこと。

takara25.jpg
エレベーターで5階へ。

takara27.jpg
エレベーターを降りると見える飾り。
宝劇場オープンに際して熊本県知事や北九州市長や麻生太郎議員から寄せられたお祝いメッセージが飾ってあります。
この右手に受付があります。

受付の目の前に演劇場入口があります。
場内の前に場外(廊下スペース)をお伝えします。

takara30.jpg
廊下。この先にお手洗いがあります。
大きいビルのワンフロアーにいる感じがします。

takara33.jpg
廊下に九州演劇協会の面々の写真が飾ってあります。

takara35.jpg
おでんを売っていました。

takara37.jpg
アイスやお酒も売っています。

takara40.jpg
保健所の規定により飲食物の持ち込みはできないそうです。

takara43.jpg
宝劇場場内

takara45.jpg
何か会議室といった感じのテーブルと椅子。もともとこの会館にあったものなのでしょう。

takara47.jpg
後方は椅子のみ。

takara50.jpg
舞台の幕

takara53.jpg
立派な花道が増設されています。

takara55.jpg
フラットな場所に机と椅子を並べた客席&あまり高さのない舞台、となると必然的に前の席のお客さんの頭が気になってしまいます。

この日の公演は宝海劇団

5年くらい前、15歳の宝海大空を観て、その美少年ぶりと道具さばきの上手さに驚きました。あのとき、<美と実力をそえた少年役者>をこの目に見ることができたのは幸せだったと思っています。もちろんここでいう美とは<少年らなではの美>のことです。男くささが兆す前の、しかし幼さは脱しきった後の、社会の手垢が付いていない、しかし何かを自覚している眼差しをもった、美・・・。とにかく何とも表現しがたい時分の花が少年宝海大空に咲いていました。

さて、それから年月が経ち、成人した宝海大空は、青年としての美しさ・風格を備え、もちろん実力は申し分なく、やはり大衆演劇界の星たる存在感を放っています。

宝海大空は現在、宝海劇団の若座長。

takara56.jpg
宝海大空若座長

takara57.jpg
宝海大空若座長の女形

公演中の口上挨拶は大空若座長でした。トークもうまいなあ。

takara60.jpg
この月は劇団井桁屋の酒井健之助座長が宝海劇団に帯同していました。
健之助座長もかっこいい。

takara63.jpg
花道できめる早乙女紫虎座長と宝海大空若座長

takara65.jpg
ラストショー

この日の夜の部のお客さんは約15名。少ない。
地元常連のお客さんがあまり定着していないのか、そういう方は主に昼に来ているのか。
早乙女紫虎座長+宝海大空+酒井健之助座長でこんなにお客さんが少ないのは何とも残念。
せっかく若さあふれる時代の宝海大空を観られるのに、お客さんが少ないのは大変もったいない。

個人的な見解を申せば、この劇場はほとんどの席において前の席のお客さんの頭が気になってしまい、満喫観劇を達成しにくいつくりになっていることが、集客にも少なからぬ影響を与えているように思います。
また、お客さんは(特にセンターのお客さんは)「観劇したい」と同時に「心身のくつろぎを得たい」という志向が強い方も多いと思いますが、そういう方にとってこのような会議室っぽい雰囲気の客席は落ち着かないのかもしれません。

帰りは南小倉駅から電車を使いました。電車を使えば小倉駅まであっという間。
駅付近で食事してホテルに戻りました。
明日に備え早めに就寝しました。九州の旅はまだまだ続きます。

(つづく)
(2017年1月)
スポンサーサイト

山に囲まれた歴史ある温泉地の巨大娯楽施設付ホテル 「湯本観光ホテル西京 夢遊湯亭」

大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記その②
山に囲まれた歴史ある温泉地の巨大娯楽施設付ホテル 「湯本観光ホテル西京 夢遊湯亭」


yumoto_map.jpg

2日目の朝。
今日は防府天満宮を参拝します。
防府駅前のホテルに荷物を預けて出かけました。
アーケード商店街が天満宮の前までつながっていて参道のようになっています。

hofu03.jpg
約20分で防府天満宮に到着。

hofu05.jpg
防府天満宮は、京都の北野天満宮、福岡の大宰府天満宮と並ぶ日本三天神のひとつ。
天満宮といえば大衆演劇ファンには「湯島の白梅」の湯島天満宮がおなじみでしょう。
大阪の梅田呉服座の近くには曽根崎心中ゆかりの地、お初天神がありますね。
日本にはいろいろな神様がありますが、菅原道真という歴史上の人物を祭神とする神社が篤い信仰を得て発展してきたことは何か不思議な感じがします。
防府は道真公が宮中から大宰府へ流される途中で泊まった場所だそうで、防府天満宮は国内最古の天神社とのこと。防府の地は天満宮とともに栄えました。

天満宮にある春風楼からは防府のまちが見渡せます。
境内の屋台で天神餅を買いました。焼きたてがおいしい。

天満宮から防府駅へは寄り道して行きます。

防府は漂泊の俳人、種田山頭火(たねださんとうか)の生まれ育った地です。
若い頃、図書館で山頭火の句を読みました。でも今思いだせるのは2句くらい。

 うしろすがたのしぐれてゆくか
 分け入っても分け入っても青い山

「15年」が山頭火の生涯のキーワードだということは覚えていました。
明治15年に生まれ、大正15年に放浪をはじめ、昭和15年に没しました。

その山頭火が通学した道が「山頭火の道」という散策路になっています。 

hofu07.jpg
山頭火の道の途中。無数の電線が交錯している。
私は電線がある風景が好きなのです。

hofu10.jpg
種田山頭火生家跡。

次は、山口県にある大衆演劇場、夢遊湯亭(ゆめ ゆうゆうてい)を目指します。

山口県の西北、長門地方の山中に「湯本温泉」という大きな温泉街があります。
大規模な旅館・ホテルがたくさんあり、そのひとつが「湯本観光ホテル西京」で、「夢 遊湯亭」はホテル西京の付属施設です。

湯本温泉の共同運行の送迎バス(要予約)が新山口駅から出ています。
防府駅から新山口駅まで電車で移動。

yumoto03.jpg
新山口駅前の広場には種田山頭火の像がありました。
ロータリーを見回して送迎バスを見つけました。

11:10送迎バスが出発しました。
約1時間半のバスの旅です。

バスは湯本温泉までの最短ルートを進まず、北部海沿いにある仙崎という趣き深いまちにも寄ります。
仙崎は童謡詩人金子みすゞ出身の地であり、金子みすゞ記念館などが観光名所となっています。
私は昔仙崎を訪ねたことがあって、そのことをすっかり忘れていたのですが、バスの車窓の景色を見て当時の旅のことを思いだしました。長門地方には俵山温泉というレトロな雰囲気の温泉地が山の中にひっそりとあり、こんな<いかにも湯治場>な場所がこんにちの日本に残っていたのかと旅情にひたったことも思い出されます。

バスが長門湯本温泉街に近づいてきました。
湯本温泉は山口県では一番古い温泉地だそうです。

yumoto05.jpg
2016年12月、つまり私が訪れた前の月に、長門湯本温泉の有名旅館「大谷山荘」で、日露首脳会談が行われました。

yumoto07.jpg
湯本観光ホテル西京に着きました。
施設が大きすぎてカメラのフレームに全部はいらない。

yumoto10.jpg
上の写真の右側にこの巨大な建物があります。

yumoto13.jpg
そしてここに大衆演劇場「夢 遊湯亭」があります。

yumoto15.jpg
エントランス

yumoto17.jpg
靴箱

yumoto20.jpg
受付

宿泊者は大衆演劇はタダになるのかな、と思いきや、宿泊者の無料観劇は夜の部のみとのこと。
ただし宿泊者は割引料金(900円)で昼の部を観ることができます。
一般の方はお風呂と観劇セットで1800円です。

送迎バスは12:45頃にホテルに到着。大衆演劇昼の部は13時から。
ホテルのフロントに旅の荷物を預けて、さっそく夢遊湯亭の受付で入場料を支払いました。

yumoto23.jpg
大衆演劇場入口

yumoto25.jpg
場内

yumoto26.jpg
よくある低いテーブル席

yumoto27.jpg
後方には普通のテーブル席もあります。

yumoto30.jpg
前方

yumoto33.jpg
花道
使いこまれた感がでています。

yumoto35.jpg
後方に積んである座布団と座椅子
宿泊客は座椅子無料

yumoto37.jpg
演劇グラフのバックナンバーが無造作に積んでありました。
私と妻が大衆演劇を見始める前の年代の本がたくさんあり、夫婦でやや興奮してしまいました。

yumoto40.jpg
おでんのメニュー

この日の公演は劇団冨士川。
私も妻も劇団冨士川はこの日が初観劇。

yumoto43.jpg
旅先、特に都会から離れた場所で見る股旅は何ともいえず良い。

yumoto45.jpg
ラストショー

昼の部が終わり、チェックインをするためにフロントまで館内を通って向かいます。

yumoto47.jpg
夢遊湯亭入口前の巨大エスカレーターを上がります。

そこに現れたのは・・・

yumoto50.jpg
なんとボウリング場!
事前情報を持っていなかったので、ボウリング場の出現には驚きました。

このフロアには他にも娯楽がいっぱい。

yumoto53.jpg
ビリヤード&ゲームコーナー

yumoto55.jpg
卓球

yumoto57.jpg
カラオケ

yumoto60.jpg
足湯

このホテルは家族や友人など大人数で来たら楽しいだろうな~。

yumoto61.jpg
チェックインをして宿泊室へ。
部屋の窓からの眺め。
湯本温泉街が山に囲まれている感じがでています。

お待ちかねのお風呂へ。
強く宣伝しておこう。
ホテル西京の温泉はとっても気持ちいい!!
私は露天風呂でぼんやりするのが好きなのでお湯はややぬるめがいい。まさにジャストな温度。
内湯の浴槽の壁に傾斜がついていて、これまた寄りかかるのにジャスト。
泉質はアルカリ度が高くやわらかい感じがします。

お風呂の後は食事。
妻と私とでテーブルに置かれているメニューが違うことに気付き、店員さんに尋ねると、「カップルプラン」というプランで宿泊申込みをしていたらしく(自分で予約しておいて忘れていました)、これは男子と女子とで違う会席料理のメニューが提供されるというプランなのだそう。
つまり、二人で仲良く分け合って食べてね、ということで、通常の倍の品数の料理が楽しめるコースなのです。
そしてビールと冷酒を注文。至福のひととき。

今日の旅の満喫のクライマックスは大衆演劇夜の部(舞踊ショー)です。

早めに大衆演劇場に入り、演劇グラフのバックナンバーを読みあさる妻と私。
2006年の演劇グラフに森川京香(現葉山京香)の「息子のささえになってあげられたら・・・という気持ちです」という見出しのインタビュー記事がありました。とても苦労されていたこと、そして息子(嵐山瞳太郎)への暖かいまなざしが伝わってくるインタビューでした。嵐山瞳太郎さんの旗揚げ前にこの記事を読んだのは感慨深かったです。

劇団冨士川の夜の部の公演、舞踊ショーが始まりました。

基本だけを洗練させたような舞踊。本当は簡単にできる所作ではないのだろうけれど何事もないかのように自然にきれいに見せてくれる。私は劇団冨士川の舞踊が気に入りました。
現代的なアレンジがなく古典をきっちりやっている感じがいい。温泉旅館だからそういうモードに徹しているのだろうか。いろいろ引き出しを持っているのかもしれない。劇場でも劇団冨士川の舞踊を見てみたいなと思いました。

特に若い二人の役者に私は注目しました。

yumoto62.jpg
若座長 冨士川すすむ

yumoto63.jpg
花形 冨士川奈々

完成されたもの、調和がとれたもの、というのは緊張感を伴っているものです。現代的なカッコイイ舞踊をこなす若い役者は多いけれども、心地よい緊張感のある舞踊ができる若手は少ない。私はこの若座長と花形に本格派の片鱗をみました。将来が楽しみです。奈々さんの美少年的な立ち役は今が見どきかもしれない。

ショーの途中でゴロゴロゴロ・・・という低い音が聞こえてきて、地震・振動恐怖症の妻は何事かとびびっていました。どうも上階のボーリングの音が響いてきているようでした。


一夜明けて、朝食会場へ。

ホテル西京の朝食は内容盛りだくさんのバイキング。
ふく雑炊、しらすごはん、山口県の郷土料理けんちょう(豆腐・大根・人参などを煮たもの)、「魚ロッケ」などこの地方ならではの料理が楽しい。

yumoto65.jpg

食事が終わり、荷物をまとめてチェックアウト。

帰りの送迎バスは9:30に出発します。
ここに来て初めて知ったのですが、ホテル西京の近くには600年の歴史をもつ古刹大寧寺があります。
バスが来るまでの時間を使って参拝することにしました。

yumoto68.jpg
大寧寺は通称で正式名称は瑞雲萬歳山大寧護国禅寺。
「大本山總持寺御直末」とのこと。
偶然にも妻のご朱印帳の最後が総持寺(横浜の方)になっていて、曹洞宗の名刹のご朱印がふたつならんで妻は喜んでいました。
大寧寺内の毛利家重臣墓群は存在感の圧力がすごく見ごたえがありました。

9:30頃、ホテル前に送迎バスに乗り、新山口駅へ。
本州とはお別れ。これから九州の旅になります。

(つづく)

映画シアターも大衆演劇場もあるサービス多彩な健康ランド 「くだまつ健康パーク」

大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記その①
映画シアターも大衆演劇場もあるサービス多彩な健康ランド 「くだまつ健康パーク」


2017年1月、山口県・福岡県・大分県を妻と旅しました。
また探訪したことのない大衆演劇場とその周辺の寺社仏閣をめぐる旅です。

1日目は山口県にあるくだまつ健康パークを訪ねました。
map_kudamatsu.jpg

東京から新幹線で徳山駅へ。そこから山陽本線に乗り換えて8分で下松(くだまつ)駅に到着しました。

kuda03.jpg
駅の陸橋を降りると2つの看板が目入りました。
「笑いと花と童謡のまち くだまつ」「新幹線が生まれる街 下松へようこそ」
下松市にある日立製作所の工場で新幹線の車両を製造しているそうです。

くだまつ健康パークは駅から遠いのですが定期送迎バスがありません。
長旅用の大きいトランクがあり長時間歩きたくないし、路線バスを待つのも時間がもったいないので、下松駅からタクシーに乗ることにしました。

kuda05.jpg
くだまつ健康パークの看板
ここは単なる健康ランドではなくプールやスケートやゴルフの施設もある大型複合施設なのです。
また姉妹施設としてボウリング場やゴーカートがあるくだまつスポーツセンターが下松駅の近くにあります。

kuda07.jpg
くだまつ健康パーク外観

kuda10.jpg
緑色の建物が、プール、スケートの施設があるスポーツプラザ。

私はもちろん大衆演劇目当てなので茶色いメインの建物に入ります。
靴箱に靴をしまい、1階フロントに靴箱の鍵を渡して受付。ロッカーキーとタオル・館内着引換券を受け取ります。

kuda13.jpg
建物は本館と新館に分かれていて、2階に連絡通路があります。
受付は本館の1階、大衆演劇場は新館の3階です。
健康ランドでおなじみの休憩室、ゲームコーナー、漫画コーナー以外にも囲碁将棋コーナーなどいろんなサービスを提供しています。
新館2階にシアターがあります。映画を上映しているセンターはめずらしい。
また「切手とコインの博物館」もあり、ものすごい数の世界中の切手が保存されていました。

kuda15.jpg
大衆演劇場
前方は低いテーブル席、後方は椅子席。
右サイドにも椅子席があって、どうもそこは地元の常連さんに人気の席のようです。

kuda17.jpg
前方

kuda20.jpg
土日祝日は指定席があるようですが、この日は全席自由席となっていました。

kuda23.jpg
座布団にハンカチやタオルを置いて席を確保してお風呂に行っているようです。センターではおなじみの光景。

kuda25.jpg
座布団は後方から自由に持ち出せます。
別の場所に椅子席用の座布団も置いてあります。

kuda27.jpg
演劇場入ってすぐ右手に受付があります。
座椅子(200円)はここで申し込めます。

kuda30.jpg
貸し出しカチカチ棒

椅子席最前列に席を確保して、お風呂に行きました。
本館3階に風呂受付があり、そこで引換券を渡すと、館内着とタオルが入ったカゴをもらえます。

実はくだまつ健康パークには「鶴ヶ浜天然温泉」という肩書きがあります。
天然温泉はナトリウムを多く含んでいるらしくしょっぱい。
トロン湯という人口ラジウム温泉があるのが珍しかったですがこの日は故障のためお湯をはっていませんでした。
サウナは2つあり、それぞれロッキーサウナ、薬草サウナという名。

お風呂の後大衆演劇場に戻り開演を待ちます。
開演前劇場からのアナウンスがありました。「寝ながらみないように」というお願いもありました。

kuda33.jpg
この日の公演は見海堂劇団。
第一部お芝居が終わって口上挨拶。

休憩時間になると、受付からマイクアナウンスがありました。受付でアイスキャンデー、アイスクリームを売っているという案内で、何人かのお客さんがそれを求めていました。

kuda35.jpg
第二部舞踊ショー

見海堂劇団は照明がかなり凝っている。
舞台上手と下手に縦長の板(?)みたいなものがあります。
この写真では背景の青い照明に加えて赤い照明を板に当てているます。
この板の照明は脇役的存在ではありますが舞台全体になかなかよい効果を与えていました。
見海堂劇団には優秀な照明プランナーがいらっしゃるのでしょうか。

kuda37.jpg
この円筒状の光る照明も見海堂劇団でしか見たことがありません。
全部で4基配置されています。

kuda40.jpg
ムービングライトを使ったド派手な演出。

kuda43.jpg
ラストショー 5人花魁

大衆演劇を観た後、食事をどこでとるか妻と相談しました。
本館2階に「鶴ヶ浜食堂」という食事処があります。

地元の店に行きたいねと意見がまとまり、今夜の宿泊地である防府へ向かうこととしました。

徳山駅-下松駅間に路線バスが通っており、健康バークはその途中にあります。

kuda45.jpg
健康パーク前のバス停から小ぶりな路線バスに乗って徳山駅へ。

徳山駅から電車で防府駅に移動し、ホテルに荷物を置いた後、駅近くのレストランで食事しました。

「寺社仏閣をめぐる旅」としながらも1日目は大衆演劇場のみの探訪となりました。
神社は明日の朝訪ねます。

(つづく)

旅情にあふれた旅の途中の旅芝居 「矢野温泉あやめ」

【広島大衆演劇場めぐり4日間一人旅】 3日目つづき~4日目
 旅情にあふれた旅の途中の旅芝居 「矢野温泉あやめ」


17:04甲山営業所発の高速バス、ピースライナーに乗って矢野温泉へ向かう。

yano03.jpg
行く手の道路に白い煙が。

道路脇の畑で草木を燃やしているらしい。
畑の間を縫うように進んでゆくバスから、野火の白い煙はいくつも見えた。

yano05.jpg
17:25矢野温泉バス停に到着。
バスの料金は後払い。料金を訊ねると、運転手さんは何やら小さい紙を取り出した。路線や料金が書いてある携帯用のバス案内だ。「いくらって書いてありますか?」と老眼らしき運転手さんは小さい紙の小さい文字を私に示した。


広島観光ナビWEBサイトに矢野温泉について次のようにかかれている。「約800年前鎌倉時代建仁の頃、諸国巡錫の豊成法師によって発見された温泉で、昭和47年国民保養温泉地に指定されました。広島県内では数少ない温泉のひとつとして知られています」
おそらくかつてはこの地にいくつかの温泉宿があったのだろう。しかし現在は矢野温泉あやめが矢野温泉で唯一の施設になってしまったようだ。

矢野温泉あやめはバス停のすぐ近くだ。行く前に矢野温泉一帯がどのような土地なのかを確かめに周辺を散策してみる。

yano07.jpg
高台から。
山の中に積木を置いたような矢野温泉あやめの建物が見える。

yano10.jpg
別の地点から。
山と畑に囲まれた場所に矢野温泉あやめを含むいくつかの建物がかある。
近くにコンビニや商店はない。どころか民家もほとんどない。

「秘境駅」という言葉がある。
まわりに民家がなく、乗降客も少なく、なぜそこにあるのかと疑問を抱かざるを得ないような場所にある鉄道駅がそうよばれている。
私は、秘境駅に興味を持っていたこともあり、公共交通機関でたどり着くことが困難でまわりに繁華街どころか宅地もほとんどないような場所にありながらも現役で経営が続いている大衆演劇場のことを「秘境劇場」と自分の中で分類するようになった。
私が秘境劇場の横綱だとみていた栃木県の「上延生ヘルスセンター」は2014年にひっそりとなくなってしまった。同じ栃木県の「鬼東沼レジャーセンター」も大関級であったが東日本大震災後に復活することはなかった。秘境劇場は日本から存在を消しつつある。
矢野温泉あやめは秘境劇場の西の横綱といったところ。ただし、大衆演劇目的でないお客さんも多いとしたら純正な秘境「劇場」ではない。

yano13.jpg
矢野温泉あやめが大きい旅館であることはこの立派な入口でわかる。
入口脇にたくさんの水槽が並んでいている。「水槽の魚 お造りします」と書いてある。魚の他、穴子や海老や蟹もいる。

大きな青い四角い容器が玄関近くに置いてあり、30cmくらいの亀が入っていた。「亀を飼ってみませんか」という貼紙が添えてある。

yano15.jpg
毒蛇注意の貼紙。これだけの大自然の中にあれば蛇も出るだろう。
「みなさん各自で注意しましょう」という表現にのどかさを感じる。

yano17.jpg
ロビー
玄関で靴を脱いで靴箱に入れる。靴箱の鍵はフロントに預けるのではなく自分で保管。

フロントでチェックイン。
名前を告げるとフロントの方は無事着いたかというようなほっとした表情をした。
事前にピースライナーで行くと伝えてあったため、バスの到着時間が過ぎてもなかなか来ないので心配していたみたいだ。申し訳ないことをしてしまった。

かなりお歳を召した女性の定員さんが部屋に案内してくれた。すいぶん長くここにお勤めなんだろうな、などと考えていたら、「ようやくきなさったね」というようなことを方言交じりに話しかけられた。この方も僕の到着を心配していたみたい。

yano20.jpg
矢野温泉あやめの宿泊部屋

夕食は1階の食事処にて18時から。

yano23.jpg
夕食は予想を超える品数の多さ。ビールと冷酒とともにゆっくりいただく。

動くのもつらいほど満腹になり、部屋に戻ってお風呂へ。
疲れていたのか、お風呂から上がってすぐ寝てしまった。

旅の最終日、4日目の朝。

朝食は8時だがずいぶん早く起きてしまった。
フロントの方に、この辺でどこか見物するところないですかと訊ねると、まだ若い従業員さんは隣の従業員と顔を合わせて首をかしげながら「ガンカイかなあ・・」とつぶやいた。

従業員さんに教えられた道を進みながら朝の散策。

yano25.jpg
空き地に簡単な木の看板が立っていて、大衆演劇のポスターが貼ってある。
昔、旅役者が田舎の公演場所をよくまわっていた時代、これに似た光景があちあこちらにあったのだろうなあ。

矢野温泉公園四季の里とを抜けてその突き当りに、国指定天然記念物「矢野の岩海」があった。

yano27.jpg
山裾に巨岩が累々と積み重なっている。
浸食作用で山の上から転がってきた岩石がこの場所に集中的に溜まったものらしい。巨岩の隙間の空洞が蝙蝠の巣になっていて土地の人はこの場所を「こうもり岩」と呼んでいたそうだ。

宿に戻り朝食をいただく。

大衆演劇昼の部まではまだ時間がある。
部屋にあったパンフレットを見て行きたいと思った場所がある。この近くの上下(じょうげ)という町だ。
ちょうど第1便のピースライナーに乗れば行くことができる。

矢野温泉からバスで約10分、上下駅に着く。

江戸時代、島根県で産出された銀を瀬戸内に運ぶ街道(銀山街道)があり、幕府の領地となった上下は集積地として栄えたらしい。
幕府が倒れた後も長らく賑わっていたのだろう、レトロモダンな建物があちこちに残っている。

これほど趣が残る町ならば観光地としてそれなりに知られているのかもしれないが、私は今回の旅ではじめて上下町の存在を知った。町にも観光地っぽい雰囲気がない。人通りも少ない。

うすらさみしい上下の町を写真を撮りながら歩く。

joge03.jpg

joge05.jpg

joge07.jpg

joge08.jpg

joge13.jpg

joge15.jpg

joge17.jpg

joge20.jpg

joge23.jpg
明治時代に建てられた警察署

joge25.jpg

joge27.jpg

joge51.jpg
「映画実演」というはげかかった文字の看板がかかった建物があった。

大正時代に立てられた「翁座」だ。
近づくと入口が開いていたので入ってみた。地元の方が何かの準備作業をしていた。
聞くと、翁座は現在興行は行われてないが、たまに地元のイベントで使われているそうだ。
200円で館内を見学できるとのこと。今日は見学日でなかったようだが、見学させていただけることになった。

joge53.jpg
2階席から

joge55.jpg
花道も回り舞台もある本格的な芝居小屋だ。
途中から映画館に変わったのだろう。

joge57.jpg
興行していた当時の看板やポスターが残されていた。
かつて浪曲の黄金時代には、日本各地の芝居小屋で浪曲公演が行われていた。浪曲公演の看板も残っていた。

joge60.jpg
上下駅に戻る。
駅前にタクシーがいてくれてありがたい。

タクシーにのって矢野温泉あやめへ。
運転手さんに矢野温泉の大衆演劇公演のことを聞いてみた。
団体客ばかりだと思っていたが、個人の大衆演劇ファンの方もけっこう観に行っているらしい。

yano51.jpg
大衆演劇場=演芸場は1階にある。

yano53.jpg
この日は25~30人くらいの団体さん1組が来ていた。皆さん開演前に食事をしている。

yano55.jpg
宴会場後方
壁にはこれまで公演した劇団のポスターが飾ってある。

yano57.jpg
かなり幅がある大きい舞台だ

yano60.jpg
下手花道も大衆演劇場らしく作られている。手入れが行き届いているのかキレイだ。

yano63.jpg
宴会場入ってすぐのところに受付カウンターがあり、カウンター後ろの大きな冷蔵ケースにはビールや酒やコップが並んでいる。その隣にはおでんコーナーがある。

yano65.jpg
テーブルに紐でつながれた栓抜き。

正午12時に大衆演劇昼の部のお芝居が始まった。
お客さんは団体客の他に大衆演劇目当てで来たと思われる数人がいて全部で30~35名。

この日の公演は劇団秀(ひで)だ。私は劇団秀も千澤秀(ちさわひで)座長も観るのははじめて。
下町かぶき組の劇団は東京近辺や大阪近辺で公演することが少ないから観る機会があまりない。
今月劇団秀に帯同しているらしい劇団絆の錦蓮座長も私ははじめて見る。

千澤秀座長と師匠の松井誠座長とはおじとおいの関係。
秀座長は下町かぶき組に入って劇団誠流に在籍して、2008年に旗揚げした。1974生まれというから座長になったのは34歳くらいか。

矢野温泉あやめの公演は昼の部のみ。
第一部お芝居 12:00~13:00
第二部舞踊・歌謡ショー 14:00~15:00

この日のお芝居は「親恋しぐれ」。
劇団秀はヤマを上げない芝居で現代劇に近い発話が印象的であった。

第一部が終わり休憩時間となった。

yano67.jpg
休憩時間は舞台が開放されお客さんのカラオケタイムとなる。

しばらく誰も歌わないので今日はカラオケなしかなと思ったが、団体客の方々がそわそわしていることに気づいた。
やおら一人の方が立ち上がり、それでは私が口火を切らせていただきましょうといった態で舞台に近づき1曲歌った。

次の女性が歌う番になると、客席の他の女性らが「いこっか?」「いく?」みたいな目くばせをして4人が小走りで舞台に上がり、カラオケを歌う女性の後ろに等間隔に並んで歌に合わせて踊り始めた。
日本舞踊をたしなんでいるらしいバックダンサーはちゃんと踊りの振付がそろっている。着物に扇子ではなく、私服にうちわ。
文字どおりの大衆演芸。
休憩時間の舞台開放で、用意してきた衣装を着て団体で踊る、というのは見たことがあったが、カラオケに半ばアドリブで加わって後ろで踊る、というのは見たことがなかった。
この後に続くカラオケでも同じような光景が見られた。このように普段趣味でやっている芸事を気軽に舞台でかけられる場があるのはとてもいい。演芸は好きだけれども観るだけというお客さんがほとんどだろうけれど、もっと演芸の敷居を低くして、趣味としてやっているというお客さんを増やすことは、演芸界の未来にとってとても大切なことだと思う。そして芸事であるからには人前で見せる場というのは必要だ。できればそれは日常的な場がいい。
大衆演劇場かくあるべし、あやめの休憩時間にそう思ったのでした。

第二部の舞踊ショーが始まった。

yano70.jpg
千澤秀座長

yano73.jpg
私が芝居・舞踊ともにいいなと思ったのが花咲竜次(はなさきりゅうじ)さん。
コミカルな演技からシブい舞踊までとても芸達者な方。
雑誌やネットではあまり知られていない役者さんだと思うけれど、花咲さんのような名役者に思いがけず出会うところに旅芝居の世界の奥深さを感じる。

yano75.jpg
ラストショー

お昼の部の終了後、劇団員は演芸場出入口付近のロビーでお見送り。
座長との2ショットポラロイド写真サイン入り1,000円をお願いした。

団体さんは旅館の前に待機していた送迎バスに乗りこんでいる。

私は、電車に乗って福山まで出る。
矢野温泉あやめから最寄駅の備後矢野駅までは約2km、歩いて30分くらい。

駅までの下り坂を歩いて間もなく、旅館の乗用車が後ろからやってきて私の横に止まりった。
私がバスで帰るものと思ったらしく、私がバス停を通り過ぎるのを見て、場所を間違えたのではないかと追いかけてきてくださったのだった。
備後矢野駅まで歩いてゆくつもりだと告げると、駅まで車で送りますとお申し出くださった。

yano77.jpg
私を備後矢野駅で降ろし、あやめの車はUターンして帰ってゆく。
矢野温泉あやめの親切な従業員さん、あのときはどうもありがとうございました。

yano80.jpg
備後矢野駅の駅舎
駅のまわりには誰もいない。

yano85.jpg
福塩線備後矢野駅時刻表
電車は1日7本しかこない。
ネットで1日平均乗車人数を調べると17人となっている。
もちろん無人駅、と思いきや、、、

yano83.jpg
「道をおたずねください」という看板が立っている。これはこの駅から矢野温泉へ向かう方への配慮であろうか。
そして駅舎に「うどん・そば」「営業中」という看板がかかっている。
まさかこんなところに食堂が・・・?
あとこの「廃食油回収箱」というのは何なのか。

駅舎に入って左に進んだ先に、せんべいや木彫りの置物が置いてある売店コーナーがあり、その右手が食堂になっていた。
食堂の厨房と思われる場所におばさんがひとり居た。
看板のとおり食堂が営業していた。

電車はしばらくこない。私は昼食をとっていない。
ということでこの興味深い食堂で食事することにした。

メニューは、メインである各種うどん・そばの他に「うこっけいの玉子」もオススメのようだ。
うこっけいの玉子ごはんとうどんのセット650円をいただくことにする。

yano87.jpg
駅舎の奥の方にはカウンターと小上がりがある。メニューにはビール、酒、焼酎もある。
なんだか小料理屋みたいだ。ここは地元の方にとっていこいの場でもあるのかも知れない。
寒い冬の夕間暮れに焼酎のお湯割りを飲みながら仲間や食堂のママさんと談笑する人々の姿を勝手に思い描いてしまう。

yano90.jpg
うどんもうこっけいの玉子もとても美味しかった。
この日が寒かったので暖かいうどんはありがたい。

食堂のママさんは気さくな方だった。
こんどこの駅に寄る機会があったら、地元の方々が飲んで集まってるような時間に来てみたいな。

もうすぐ帰りの電車がやってくる時間だ。

yano93.jpg
備後矢野駅のホーム
この駅のローカル度がよくわかる写真

yano95.jpg
塩福線の車両がやってきた。

福山まで行くには府中という駅で必ず乗り換えなければならない。福山-府中間しか電化されていないらしい。だからこの車両は正確には電車ではない。

田園風景が続くローカル線の車窓も、福山に近づくと住宅地に変わる。4日間の旅が終わる名残惜しさ。

福山駅から新幹線に乗り東京へ。缶チューハイを飲みながら撮りためた写真を見る。
上下の町並み、山間の旅館の旅芝居、備後矢野駅の食堂、どれも旅情いっぱいだった。

たくさんの思い出をお土産に4日間の広島大衆演劇場めぐりの旅は終わった。

(旅日記終わり)

【後日談】

この旅の約2ヵ月後、矢野温泉あやめが2016年12月末で閉館することを知った。
旅の直後だけあってとても残念なニュースだった。
またいつか矢野温泉に行きたいなと思っていたのに。
おそらくもう一生、備後矢野駅に降り立ちあの食堂を訪れることもないだろう。
でも、あの食堂いまどうしているかなと、何かの拍子にふと思い出すに違いない。
あやめの玄関の前にいたあの大きな亀はどうなったのだろうか。

古刹に見守られている山間の町の大衆演劇場 「せら温泉」

【広島大衆演劇場めぐり4日間一人旅】 3日目
古刹に見守られている山間の町の大衆演劇場 「せら温泉」


今日目指す「せら温泉」がある世羅町は広島県の中央よりやや東方の内陸にある。

世羅町には鉄道駅が1つだけあるが、町の中心部から8kmくらい離れているうえ、1日10本も電車がとまらない。
行きにくい。しかしこの行きにくさにわくわくしてしまう。
大衆演劇場探訪は行きにくい場所にあればあるほど旅気分が味わえるものだ。

広島市街の交通といえば路面電車であるが、もっと遠方への交通手段としてバスが発達している。
その拠点となっているのが原爆ドーム近くにある広島バスセンターだ。

バスセンターから世羅町へはピースライナーという高速バスで行くことができる。


薬研堀のカプセルホテルを朝早く出発して、人気のなくなった白々とした歓楽街を抜けて平和記念公園へ。
原爆ドームをしばし眺める。
この近く紙屋町の交差点は、県庁やバスターミナルが隣接するまさ広島の中心地といった場所。
広島そごうと一体となっている大きい建物にバスセンターがある。

早朝の街中にはあまり人がいないけれど、バスターミナルの中には人が集まっていた。でもまだ売店も開いておらず静かだ。

sera05.jpg
要塞のようなバスターミナル

sera03.jpg
世羅を通過して甲奴(こうぬ)まで行くピースライナーのほか、ローズライナー(福山行)、フラワーライナー(尾道・因島行)、リードライナー(府中行)、クレアライン(呉・阿賀行)、とびしまライナー(とびしま海道を通る)といった長距離バスがでている。
昔好きだったアニメ銀河鉄道999にでてくる宇宙に浮かぶ球状の巨大ステーションを想起してしまう。

ピースライナーは1日5本でている。第1便は8:00出発。9:29甲山営業所(世羅町中心部)到着予定。
約1時間半のバスの旅。

sera06.jpg
広島内陸部の田園風景のパノラマを眺めながらバスに揺られる。

甲山営業所で高速バスを降りる。
甲山はこの辺りの前の町名で、2004年に甲山・世羅・世羅西の3町が合併して世羅町になった。今の世羅町役場は旧甲山町役場らしい。

sera09.jpg
バス停から歩いてすぐ「史跡の町 甲山町」の門がみえる。

sera10.jpg
門の裏は「史跡 今高野山」

ここは古いまちで縄文時代の遺跡もあり鎌倉時代には高野山領大田庄として栄えていたとのこと。
今高野山龍華寺(りゅうげじ)は鎌倉時代に真言密教の霊場として開基された古刹で今では紅葉の名所となっている。

甲山は今高野山の門前町として発展し、その後は市場町として栄えた。
市場町では商売の神様が祀られる。甲山の胡社(えびすしゃ)の夏祭りで行われていた民族芸能がある。
それが世羅町の無形民族文化財に指定されている「だんじり仁輪加(にわか)狂言」で、祭の最中山車で街中を練り歩き、各所で山車を止めては仁輪加が始まったそうだ。説明書によると、「台本はすべて自作で、現代物や時代物、時代風刺のものが多く、必ず最後に「オチ」がつけられる。観客からの掛け声やヤジに応じてセリフが変わったりと、演じ方と観客の一体感も仁輪加の特徴である」とある。
仁輪加狂言が盛んだったこの町に、かつてどれほど芝居が行われていたのかは知らないが、大衆演劇場を受け入れる文化的土壌は他の町よりも濃いのではないだろうか。

sera12.jpg
今高野山通り

sera14.jpg
今日は何かの祭礼の日らしい。
通りの家には丹生神社の幟としめ縄が飾られている。

歩いていると向こうから、獅子舞を先頭に神輿を乗せた軽トラックと法被を着た人々がやってきた。

sera16.jpg
私が生まれ育った土地は昭和になって開発された住宅地だ。
昔から行われてきた祭礼が暮らしの中に息づいている町をうらやましく思うことがある。
だからこうした光景に出会うと自分がよそから来た旅人であることを強く感じてしまう。

sera18.jpg
今高野山龍華寺と丹生神社の参道。丹生神社は今高野山の守護神だ。
写真の右下にせら温泉の看板がある。この参道の左にせら温泉がある。

まだ時間があるので今高野山を参拝する。

sera19.jpg
丹生神社

sera20.jpg
龍華寺御影堂(大師堂)

この日世羅町では「健康と福祉のひろば」という大きなイベントが行われていた。
甲山自治センターと甲山農村環境改善センターにて健康をテーマとしたさまざまなブースが設けられている。
地元高校生が大勢手伝いに来ていた。
カレー好きの私は、屋外にテントを出していた食生活改善推進員協議会の野菜カレー200円を食した。

sera21.jpg
世羅町のゆるキャラ「せら坊」
黄色い頭は梨である。
ランニングシャツを着て赤いタスキを持っている。
そう、世羅といえば駅伝の強豪、世羅高校の陸上部。
イベントを手伝っていた礼儀正しい若者たちは陸上部の生徒だったようである。

sera23.jpg
せら温泉に到着。
大衆演劇場せら温泉は2008年3月にオープンした。
昨日探訪した「ゆ~ぽっぽ」の系列店だ。やはりここも「スーパー銭湯」と名乗っている。

sera25.jpg
玄関とフロント。
靴を靴箱に入れ、鍵をフロントに渡す。
入浴コースと観劇入浴コースがある。
指定席をお願いし、座席表を見てよさそうな席を決めた。

sera27.jpg
観劇のコースにすると演劇通行手形が渡される。

sera28.jpg
スタンプカードがあり、同じ月に通えば通うほど(といっても4回目まで)安くなるシステム。
このシステムははじめて見た。

お風呂に入る。
露天風呂を囲む塀の外に緑が茂っている。この木々は丹生神社や今高野山を包んでいたあの森につながっているのだろうか。

sera29.jpg
お風呂上りに2階の食堂へ。

sera30.jpg
ビールを飲みながら開演時間を待つ。
食堂の奥に大衆演劇場の入口が見える。

昼の部は13時30分開演。
明確な開場時間もなく入場が始まっていた。
ここではほとんどのお客さんがフロントで指定席を決めておくのだろう。
であれば、見やすい自由席を求めて開場時間前にお客さんが劇場前に並ぶという光景がないのも当然だ。

sera33.jpg
演劇場後方より

sera34.jpg
演劇場前方から後方を見る

演劇場は大衆演劇場専用施設として改修されたことがうかがえるつくり。

sera35.jpg
例えばこの花道

sera36.jpg
下手もこのとおり。
それほど広くない部屋ながらよく設計されている。

49ある座椅子席は広々している。
その後ろのわずかなスペースに座布団だけの席もある。

センターにしてはこじんまりした客席だ。でもこの町にある大衆演劇場としてはちょうどよいサイズだと思う。

sera38.jpg
全国の大衆演劇場に貼りたいような標語

この日の公演は劇団澤宗(さわそう)
澤宗城栄(じょうえい)と澤宗千惹(せんじゃく)の夫婦座長の劇団だ。

私は6年ぶりの観劇。そのときは千惹座長は二代目澤宗千丸だった。
2015年、息子三代目澤宗千丸が高校を卒業して正式に劇団に入団するのを機に、千惹に改名した。

この日お昼の部のお客さんは16,7名くらい。
第1部お芝居から始まった。

芝居の後の休憩時間にせら温泉のスタッフがアイスとモナカの販売に来た。

sera40.jpg
澤宗城栄座長の女形

sera42.jpg
澤宗千惹座長
とても芸魂を感じる座長だ。
立ち役でこれほど貫禄をだせる大衆演劇の女役者はなかなかいない。

sera44.jpg
三代目澤宗千丸若大将19歳
あと数年で座長を襲名するだろう。もう口上挨拶はまかされている。
芝居や口上を見て、真面目でひたむきな姿勢や性格のよさが伝わってきた。
若いのにかっこつけようとしないところもいい。
いい座長になるだろうな。

※ブログへの写真掲載はご許可をいただきました

sera46.jpg
公演中の様子

昼の部が終了。
この後は、次の目的地「矢野温泉あやめ」に本日中に移動してしまう予定だ。
高速バス、ピースライナーで移動することができる。

バスの出発まで少し時間がある。

陽が落ちてきて町が翳りはじめた。
よい感じのさみしさが胸に広がる。
写真を撮りながら甲山の町を歩く。

sera50.jpg

sera52.jpg

sera54.jpg

sera56.jpg

sera58.jpg

sera60.jpg

sera62.jpg

sera64.jpg
バス甲山営業所の建物には
「国道184号 いやしロードの町世羅町」という大きな壁画が描かれている。

待合室には「農山村の夢乗せ発車」という見出しの記事が貼ってある。
平成8年にピースライナーが開通した際の中国新聞の記事である。

17時過ぎ、甲奴行きのピースライナーがやってきた。

(つづく)
プロフィール

notarico

Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR